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うなぎ雑学







題名 江戸前大蒲焼 番付表
年代 嘉永5年(1852)

「江戸前大蒲焼」は江戸の221軒もの鰻屋が掲載されています。この番付表が発行されたのは、黒船来航の1年前の嘉永5年で西暦1852年です。  この頃は現在の蒲焼の味や形になり江戸での名物料理として鰻屋が大流行していました。
三島市は日本でも指折りの蒲焼の消費地で、おそらく人口の割合における鰻屋での蒲焼消費量は日本で一、二を争うほど売られています。

その三島で鰻料理を提供する店が二十数店舗あるそうですが実際に鰻屋と呼べる店舗は何軒あるのでしょうか?
人口10万の三島市に仮に20軒の鰻屋があるとすると、5千人に1軒の鰻屋がある事になります。
10軒の鰻屋なら1万人に1軒という事になります。

この番付表で考えると江戸100万人に対し221軒という事は、4524人に1軒の鰻屋があった事になります。
そうすると「現在の三島より少し鰻屋が多い」ぐらいの感覚になりますが、江戸での鰻屋は鰻料理以外は売らない完全な専門店です。
しかも、この番付表の中央下の部分には「此外東西数多御座候得共猶校合の上再版仕候」と書かれており、「この他にも世間には数多くの鰻屋がありますが、さらに編集した上で再版いたします」という内容のものです。

この番付表以外にも「江戸酒飯手引」に90軒「買物独案内」に26軒もの鰻屋が紹介されています。
実はこれらの書や番付表は掲載する店からお金をもらって発行した、現在の宣伝広告のようなものでした。
ですから、実際の鰻屋の数はもっともっと沢山あった事になる訳です

検証となる書物がありませんので、推測になるのですがそれらの事を考えると、恐らくこの番付表の倍の440軒の鰻屋があったのではないでしょうか。
さらに、江戸では店舗ではなく露天商のような「蒲焼売り」も存在し、その数も同等数以上は存在していたと考えられます。
さてそうなると鰻屋の数は店舗が440軒なら、人口2272人に対し1軒その他に相当数の蒲焼売りが存在する事になります。
日本でも一、二を争う消費地「三島」と比べても4倍以上の比率で鰻屋が存在し、しかも同時にそれ以上の蒲焼売りが町を売り歩いていた事になります