TEL.055-975-6879
〒411-0907 静岡県駿東郡清水町伏見239−3
![]() 富山の置き薬 |
全国的に知られるようになった理由は、 情報伝達手段がまだ乏しい時代に全国の一般家庭を定期的に回り歩く、薬売りの影響が絶大であった事によります。 この薬売り達は、お客さんの各家庭で置き薬を交換すのですが、その時に「おまけ」として「売薬版画」「紙風船」「箸」や「食器」など軽く持ち運びのしやすい物品を、売り上げ金額に応じて配りました。 まだ、他の地域と交流が少なく、都市の情報も乏しい地域などでは、この薬売り達がやって来るのを待ちわびていたそうです。 |
明治頃まで人気の高かった「おまけ」は、江戸でも人気があった浮世絵の役者絵や、他所の名所絵でしたが、時代が大正に移る頃は印刷技術の普及に伴い浮世絵自体が衰退し、お客さまのニーズも変化していきました。 この大正時代には、おまけも軽い事は大前提でしたが立派な塗り物や食器も現れました。 しかし昭和に入り製薬所同士の申し合わせにより、それまでも扱っていた、生活に必要な「暦」や「食い合わせ表」などがついた印刷物を中心に、子供のおもちゃの紙風船や切り絵、ぬり絵のような「安価な紙製品」だけになりました。 |
![]() おまけ(紙風船 紙飛行機 紙のお面) |
普通の浮世絵(錦絵) | |
![]() 安藤広重 東海道五十三次 三島宿「朝霧」 江戸時代 (当店より東に2.5キロ) |
![]() 歌川豊国 三島沼津間「傾城 喜瀬川」 江戸時代 (当店より西に800m) |
![]() 豊原国周 明治時代 (最後の役者絵師と呼ばれている浮世絵師) |
![]() 浮世絵師が衰退したころの浮世絵 三代歌川広重 明治時代 |
売薬版画 薬売り達が「おまけ」として配った版画 |
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そして大正頃に書かれていた「梅」(青梅)と「うなぎ」の組合せは、その後のカラー印刷では殆ど(私はまったく確認していません)登場しなくなり、 逆に昭和十二年発行「衛生長寿喰い合せの心得」は白黒印刷なので、「梅に鰻」が大正時代の頃のようにそのまま書かれています |
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