TEL.055-975-6879

〒411-0907 静岡県駿東郡清水町伏見239−3








                  うなぎ雑学

             




           関東で消えた関西風蒲焼

江戸前風と関西風の違いの訳




歴史のページで、少し書きましたが、蒲焼は江戸でも始めは、すべて関西風の蒲焼だったのが、現在の関東風の蒲焼に変わってきました。
なぜ、関西風の地焼きから関東風の蒸す蒲焼に変わったのか以前は疑問に思っていました。


先日、江戸時代後期の「江戸での蒲焼の値段」を調べていました。
調べたと言っても私の場合いは元本を読む事はできないので今まで出版された現代語訳の二次文献を読むのですが、値段に関する資料はどの本を読んでも『近世風俗志』に書かれているものしか見当たらず、「物語」の中でに蒲焼屋の場面で登場するのが2点、道中記で1点のみ知る事ができます。

面白い事に3点とも一人前で計算すると二百文になっていました。
(「そば」は十六文、「そば」を仮に400円とすると、蒲焼が5000円、そば500円だと6250円)
資料的には『近世風俗志』が使えるでしょうが、この『近世風俗志』の鰻関係に関しては、鰻屋から見ると理解しがたいものや完全な誤記と思われる物もあり、頼ってしまうと思わぬ落とし穴がありそうでいつも悩んでいます。

資料的には信頼度がさらに低くなるのでしょうが物語で出てくる値段までも全て同じと言うのがどうもうなぎ屋として納得ができません。

例えば、
当時すでにウナギの産地による優劣や個体による優劣が認識されていたと思うのですが、売値は変わらないのか?

ウナギ屋自体の格と値段は関係ないのか?

一人前の量の解釈で お客が自分で生きたウナギを選び調理させるのはわかりますが、天然で一匹が一人前なのか?
(小さいウナギは「筏」として何匹かで一人前とするのは判ります)

お客に選ばれずに残ったウナギは「放しウナギ」として買われていったのは判りますが、もし一匹が一人前でないとすると、大きな天然ウナギの時の残りはどうやって売っていたのか?

などと売る側として、食材のロス単価や能率を気にして売値を考えていました
特に一匹一人前より大きなサイズを考えていた時に、思いついた事です。
その思いついた事で今まで悩んできた疑問

どうして、関西風は腹開きで関東風は背開きなのか?
どうして、関東では関西風から関東風に変わったのか?
どうして、関東風は蒸すのか?

などがすべて解決される答えがでました。
うなぎ屋でありながら「蒲焼」に対しての固定概念があまりにも頭にしみこんでいたので、わからなかったのでしょう



    「蒲焼の関東と関西の主な違い」

       (関東風)          (関西風)
       背開き           腹開き
       蒸す            蒸さない
      鰻が小さい         鰻が大きい
     白焼きで皮側をよく焼く   白焼きで身側をよく焼く
     短い竹串           長い金串
     関西圏にも進出      関東圏にはあまり進出しない
    入荷があれば、天然物を   殆んど天然物を扱わない
      扱う店がある   

  などがあり、提供する側として一つずつ考えて見ます

「白焼きの違い」




やはり、違いと言うと「蒸す、蒸さない」が一番の違いだと考えますが
調理の段階で、関東と関西の大きな違いは「白焼き」にも言えます。
関西風に白焼きされたウナギを蒸して関東風に焼けと言われても焼けませんし、またその逆も出来ません。

個人の好き好きで私にはなんとも言えませんが
関東人が「関西風は硬くて脂がギトギトで嫌いだ」とか逆に
関西人が「江戸前風は柔らかいばかりで味がしないから嫌いだ」
とよく耳にします。 ですが、ちゃんと調理された蒲焼なら関東、関西どちらでも美味しいと私は思います。

さらに養殖うなぎ自体が現在主流のビニールハウスによる単年飼育方法により身質が非常に柔らかくなりましたので「関西風は硬い」というイメージは一昔前の経験が多いのではないでしょうか。

完全に関東風のようにとはいきませんが、「硬い」とは感じなくできあがります。これは「縫い串」と言われている技法で、まづ頭付きで割いた長いままのウナギは頭に一本、胴体の部分に二本だけの合計三本の太い金串(昔は鉄製でした)を刺し、皮の表面をあぶったあと、これまた関東と逆の身の方から焼ます 皮の方から焼くとそのままの形で焼けますが、身からですとうなぎが縦にも横にもUの字型に反りかえってきます。

 それを無理やり細い金串で縫いながら修正していきますので、結果的に鰻の身は凄くもまれた状態になります。 始めは三本の串が最終的に9本〜13本の数に増えています。

 またこの間の動作の他にも4の写真のように「手返し」されると結果的に揉まれた状態になりますので一段と柔らかくなります。 これらの処理が丁寧なほど「柔らかい蒲焼」になります。 

もう一つの大きな違いは、関西では白焼きの段階で皮も焼きますが身は狐色になるまで仕上げますので、ほどよく脂がたれてギトギトした蒲焼にはならないはずです。

残念な事にこの仕事をしないで、初めから沢山の串を打って皮側から焼き手返しをしなければ、結果としてベルトコンベアーで焼いた機械焼とあまり変わらない状態の関東人が思う「堅くて、脂がギトギトの蒲焼」ができあがってしまいます。

焼立ての身は確かに軟らかいのですが、ウナギの質によっては、皮まで関東風のようには軟らかくならないので、冷めた時の蒲焼の皮は硬くなりやすいです。

右の5の写真は「うなぎ情報館」で比較されているどれも関西風の蒲焼の写真です。 (イ)と(ハ)が炭焼きで(ロ)と(ニ)が冷凍の蒲焼ですから、たぶん(ロ)と(ニ)は機械で焼かれた蒲焼なのでしょう
違いがよくわかりますね


関東風でも同じように、蒸すと言っても極端に軟らかい最近の新仔ウナギは3分程度しか蒸しませんし、白焼きの段階で関西のように脂が滴り落ちるほど焼きません。ですから、脂が抜けてしまい味が無いという事はありません。

ようするに関東でも関西でも、ほとんどのうなぎ屋の蒲焼ならどちらも美味しいはずだと私は考えています。
また、どちらも同じ蒲焼ですがまったく違う料理で、比較する事自体に問題があるとも思っています。

ただそれぞれの好みですから、その人が自分で七輪で焼いて素材そのもののワイルドな味に慣れていたり、スーパーのリーズナブルな味の機械焼きに子供の頃から慣れていれば、もちろんその蒲焼がその人にとって一番美味しく感じても不思議ではありません。 タレの甘い辛いも同じです

「蒸し」「金串と竹串」




関東風でも、江戸時代は蒸していなかったと思います。
白焼きをしてから蒸篭(セイロ)で蒸すのではなく、蒸らしていたと私は考えています。
松井魁 著『うなぎの本』の「文献の中の蒲焼」で 式亭三馬著『浮世風呂』1809〜1813 の中で「上方すぢの女が江戸のそれ(蒲焼)は和かいばかりで」と書いています

 同じく 厭離斉宗知著『遊歴雑記」1828 「その初めしらやきにし、太るを温なる内に重箱様の物へ入、少しの重みを置て蓋してむらしそうろう」 と書かれています。
蒸篭で蒸さなくても、白焼きをした鰻を熱いうちに重ねたり箱の中に入れておけば軟らかくなる事がわかりますね。

もし、白焼きまで調理しておけば、お互いの余熱で自然に蒸らされて、ある程度は軟らかくなる訳ですから、後は食事時にあわせて炭に火を起こしてさえいれば、ファーストフード並の5分もあれば蒲焼はできあがります。

また、江戸にうなぎ屋ができる前の料理書には現在は行なわれていない、蒲焼の途中で熱湯や熱くした酒を掛けたりして軟らかくしていたとありますから、関西でもお金持ちや特権階級の一部の人は軟らかい蒲焼を食べていたと思います

しかし、白焼きをしておくとなるとそれまでの関西風の白焼きでは問題が起こります。
 
関西風の長い金串は焼きながら縫い串をしたり、揉む事には大変に便利です。もしも短ければ熱の伝導率が高く熱くて火傷をしますので絶対に長くなければ焼けません。
ただ、白焼き後はその長い串が邪魔になってしまいます。
そこで短い竹串が登場します。
竹串の特徴は熱の伝導率が低くいので、慣れれば皮膚が厚くなり火傷などしません。

重要な事は蒸れて軟らかくなってしまった白焼きを金串で焼こうとすると、鰻がすぐに滑って抜け落ちやすくなりますが、竹串だと滑らずに焼けます。

また白焼きされた鰻の収納を考えると左上の写真のように短い竹串は沢山の収納ができると同時に、お互いの熱で軟らかくする事が可能になります。

身質の硬いウナギなら白焼きを立てづに積み重ねる事もできるかも知れませんが、普通の身質のウナギですと蒸し器で蒸さなくても蒸れはじめて、白焼き事態の重さで重ねた下の白焼きはつぶれてしまいます。

その下の写真は現在よく使われているうなぎの専用蒸し器で右側のように、白焼きを重ねないで蒸すのではなく、左側のように立てかけて蒸しますので深い蒸し器になっています。

竹串の欠点は鉄串に比べて非常に串を打ちずらく時間も掛かります。
串打ち3年と言いますが、まさにそのぐらいの経験がないと、思いどうりの打ち方は竹串ではできません。 

最近良く見かける短い金串を使う店では、火傷をしないように軍手をして焼き、蒸した白焼きが落ちないように金串も太くしています。 
これも竹串では時間が掛かるので金串へとなってきたのでしょうが、安価な「軍手」が発明されてからのことです。

ですから、短い金串は長い金串や竹串に比べ比較的新しい現象でしょう。 

また関東風の技術で「追い串」と呼ぶ、白焼きの後や蒸して軟らかくなってから、刺した串の近くに串を刺し、その二本を持って焼く技法があります。

その「追い串」をすれば金串でも蒲焼が落ち難くなります。  
先日、短い金串(今はステンレス製)を使っている主人と話をしたのですがその店では、今の養殖鰻には追い串はせづに、わざと硬めで仕上げているのだそうです。

「腹開きと背開き」




蒸す以外にこの腹開きと背開きが東西での違いのように言われていますが、関西圏でも背開きを行なう地域は今も昔も大阪以外ではかなりあるようです。
京都も江戸時代の文献には背開きの事が書かれていたり、両方の開き方をしていたために独特の「京割き包丁」の形になりました。
 
腕の良い職人さん同士なら背開きでも腹開きでも殆んど時間は変わらないと思いますが、そうでない場あいは背開きの方が技術的にはやさしいのではないのでしょうか。






右の1と2の写真は目打ちは名古屋形ですが関東割きの背開きの写真です。3と4は「うなぎ情報館」のオオナマズさんからいただいた京割きの腹開きの写真です。
 専門の職人さんなら3のように生きたウナギを刺す事はたやすいのでしょうが、これは関東の職人さんにしてみれば非常に難しく感じます。
 
関東の背開きでは、1の写真のように、初めに背骨まで包丁を入れてしまえばウナギはおとなしくなり、専門の職人でなくても魚が卸せる人ならある程度は割けてしまいます。 

                          

しかし、2と4の写真のウナギの首の所を見るとわかるように、関東割きでは頭と胴体の接点が腹開きの半分になってしまいますので、関西風の白焼きの時に行なわれる、縫い串や手返しをする時に揉まれると、背開きでは接点が少ないのと背骨が切れているために、頭と胴体が離れてしまいます。

関西風の長焼は、この頭の部分が要になっていますので、頭と胴体が離れてしまうと丁寧な関西風の白焼はできません。 

西日本などで背開きにしている所の特徴は、この縫い串をしない所です。
同時に串を打たないで七輪や焼台の網の上で焼く所も多いのはこの特徴のせいで、背開きでも蒸さずに食べますので関西風のうなぎ屋さんとはまた違った蒲焼が出来上がります。 
九州の柳川の蒸篭蒸しもそれからまた発展したと考えて良いのではないでしょうか

さて、それでは割いたうなぎの拡大図を見てください
左は腹開き、右は背開きで、矢印の場所に串を刺していくのですが、腹開きでは内臓がある腹の部分の外側が薄くなり、ただでも打ちにくい竹串ではなかなか刺さりませんし、仮に串を打ったとしても、白焼きをした後に蒸せて軟らかくすると今度は蒲焼をしている最中に落ちやすくなってしまいます。 
ですから、どうしても関東風の軟らかい蒲焼にしようとしたら必然的に背開きになります。
昔は大阪、京都、のような大都市ではうなぎ職人が専門的な技術を使い蒲焼にしていく事は可能ですが、そうでない関西や西日本の地方、または蒲焼の関西と関東の境と考えられる静岡県の浜松付近や長野県の諏訪湖付近(岡谷)となると「背開きで蒸さない蒲焼」が多く見うけられます。

重要なことは「腹開きにして蒸した蒲焼」の地域が無いという事です。 




「うなぎの大小」




現在は関西ですと1キロで3〜3.5尾、関東では4〜5尾のウナギが主流に使われていますが、10数年前まではそれぞれ3.5〜4 5〜6の今より小さ目のウナギが主流でした。 
ではその前はと言うと、やはり関西では関東より大きいウナギが好まれていたようです。 
その理由を「関東人は脂が嫌いだった」などと考えて蒲焼にも当てはめている人がいますが本当にそうだったのでしょうか? 

これも調理する側や経営者からみれば、違う理由が浮かんできます。 
関東風は「蒸す」ために短い竹串を使い大きなウナギは小さく切り、小さなうなぎはまとめて、あるいは1尾に他のウナギの切れ端を足して、それぞれが同じ重さや、好きな重さに揃えられ一人前づつ串を打つ事が可能になりました。

今、うなぎ屋で良く使われている焼台では、どんなサイズのウナギでも10〜12人前づつ同時に焼く事が可能になったわけです。

しかし関西風の長焼きではそうはいきません。 
関東の「いかだ」と呼ばれる春先の小さいウナギを3〜5本並べて一人前の蒲焼を焼こうとしたら、おそらく二人前か、もしかしたら一人前づつしか焼く事はできないでしょうし、サイズの違うウナギを一緒に焼くことはかなり難しくなります。

今は、養鰻でサイズや品質の揃ったウナギを使う事ができますが、これが天然となると昔の関西の職人さんはかなりてこずっていたでしょうね。
(私に焼けと言われても絶対にできません!) 
 
また単価的なことを考えると使えるウナギに制限ができますし、一度に焼ける量が江戸前風より少なくなるわけですから、もし関東と同じ値段にするとなると一人前の量を減らすか、ウナギのサイズを大きくして一尾で一人前ではなく、三尾で四人前とか二尾で三人前にして能率を上げなくてはなりません。
 
これが関西でのウナギのサイズの大きい一番の理由ではないのでしょうか。 
また都合の良い事に関西では蒲焼が出来上がった後で切るのですから、元のサイズを大きくする事には何も障害となるものはありません。
 
関東風となると、世間では頭と尾がついていないと一人前ではないような感覚がなぜか染み付いていますから、なかなかサイズを大きくするというのは、売値を高くしない限り支障がでてきます。

余談ですが、10年ぐらい前、シラスウナギの減少で価格が高騰した時に、うなぎ屋の集まりで水産学の教授が講演をし、 
教授は「これからは確実にシラスウナギの減少は進んでいきますので、ウナギ一尾で一人前と言うのではなく、大きく育て一尾で何人前もできるような物にしていく事を考えなくてはいけない」とおっしゃっていました。
近い未来には本当にそうなるかもしれませんね


「現在の関西では殆んど天然物を扱わない」

関西圏では関東より人口におけるうなぎ屋自体の軒数が少ないせいかもしれませんが、関西のうなぎ屋では天然うなぎの漁期でも天然物を扱う店が殆んど見かけられません。(産地近くのうなぎ屋は別です)上の「うなぎの大小」でも書きましたが、やはりサイズが不揃いの天然うなぎでは能率が異常に低くなります。

それにプラスして天然うなぎは養鰻のように身質も揃っておらず様々です。 特に異常に皮や身が固いウナギや小さいウナギは関西風の調理法に適していないと私は思います。
現在の天然ウナギの流通の殆んどは選別を行ないませんので、大きなウナギも小さなウナギも全て混ざった状態で売買されています。
  それを再び選別に掛け、関西風に適したウナギだけを購入しようとすれば、ただでさえ仕入れ値の高い天然ウナギの値段は相当高くなってしまいます。現にサイズを揃えた天然うなぎは非常に高く売られています





「江戸前風は関西圏にも進出」




現在は養鰻技術の目覚しい飛躍でサイズの揃った品質も同じウナギを供給する事ができますので、返って関西風には良い条件になっていますが、それ以上に関東風が能率的には優っています。

やはりそれが、関東風のうなぎ屋が今でも関西圏にも進出している原因ではないでしょうか。 仕事の能率は直ぐに人件費に関わってきますし、また一人前を一串または二〜三串という端数の出ない関東風との違いもあるかもしれません。
関東で関西風の店がなかなか無いと言うのも同じ理由だと思います。



「固定概念が推測の妨げになっていた」


ウナギとコイは他の魚や肉と違い生きていなければ、美味しくありません。
ですから世間ではその場で生きた鰻を割いて調理する為「美味しい鰻屋は時間が掛かる」とかよく言われています。

確かにその場で割きから始めた蒲焼は同じ素材なら美味しいのに間違いはありません。
では商売となるとどうでしょうか? 
現にそうしている店もありますが、どうしても蒲焼の単価を高くしなければ商売にはなりません。
 
提供時間も、他の注文が無く、お客さんが注文してすぐに割き始めれば1時間〜で出来上がりますが、実際はお客さんの注文はご飯時に集中してしまいますので、お客さんの数に合わせて板前の人数と設備を増やさなければ1時間位で出来上がると言うのも難しくなります

実際はほとんどのうなぎ屋さんでは、お客さんが来店する食事時に合わせて、その時だけはそれぞれの店が下準備を進めています。

現代の鰻屋での待ち時間  ( )は注文してからの待ち時間
個体差で蒸し時間が10分〜40分と違いがあるのでおおよその目安です。
軟らかい新仔をは別にすれば、平均すると15〜30分ぐらいで蒸しあがります。

関東風の店では下準備の進め方で
 

1、何もせずお客の注文でウナギを裂きはじめる 
      (約1〜2時間以上)
2、ウナギは割いておき、注文が入りしだい白焼きから始める 
      (約40分〜60分以上)
3、白焼きまでしておき、注文が入りしだい蒸し始める
      (約30分〜50分以上)
4、食事時の時間にあわせ、蒸しておき注文が入りしだい本焼を始める 
      (約4分〜15分)

その店の経営者の判断で行なわれていますが、普段は「3」で営業し、忙しい時間帯だけ「4」にする「3」と「4」の併用の店がほとんどです。 
もちろん少数ですが「1」「2」の高級な店もあります。

関西風の店で下準備の進め方というと、やはり関東と同じですが「蒸す」という作業がありませんので「3」と「4」は一つになります。

ここで注意していただきたいのは確実に「その場で割きから始めた蒲焼は同じ素材なら美味しい」のすが、だからと言って、「注文して、早くでてきた蒲焼は不味い」と言うことではありません。

どこのうなぎ屋さんも食事時に合わせてその店にとって一番よい出し方をしているでしょうし、返って寿司屋さんのように回転率がよい店ほど新しく良い物を提供していると思います。
(同じ活きていても、回転率が速い活鰻の割きたてにはかなわないですが・・・)

先日テレビ番組で料理評論家さんが「昔は鰻屋のようにファーストフードの反対のスローフードの食文化うんぬん」と話していましたが(すいません、この料理評論家があまり好きでなく良く見ていなかったので憶えていません) 本当にそうであったのでしょうか?

私は「昔の全てのうなぎ屋は皆時間を掛けてお客を待たせた」と言う誤解をしていたのではないかと思います。
高級な鰻屋は時間を掛ける事で間違いは無いのでしょうが、それ以外の多数の鰻屋、ことに東京では調理技術や、道具を進歩させて江戸の子の気質に合わせた時間を掛けない蒲焼が大衆には受け入れられていました。


余談になりますが、あと一般に知られる、疑わしき固定概念として
「うなぎ屋は臭いでお客を集める為にわざと道沿いで蒲焼を焼く」などと言う間違った解釈をよく耳にしますが、実際は「換気扇」が普及するまでは店の真ん中や奥で蒲焼はおろか白焼きも焼けません。

ですのでうなぎ屋の店の構造と言うものは店の入り口の横には必ず調理場があり大きな窓を造って煙や油を外へ出すような形になっています。
結果として美味そうな臭いが街中に漂うわけで、臭いで集客する為の店の構造ではありません。
(家庭でも七輪で魚を焼く時はよく外で焼いていましたよね)
あと「鰻は尻尾が美味い」というのも私には可笑しな話に感じてなりません。




「経営面的な考え方」




江戸時代は100%天然うなぎを使用していたのですから、軟らかくする事でそれまで人気の無かった大きなウナギ特に秋口の下りウナギや硬いウナギまで使用する事が可能になりました。
 これにより大きく仕入れのコストが下がったと想像できますし、結果的に下りウナギの美味しさを引き出す事もできたと言えます。

この考え方ですと、他のすべての関東、関西の違いが蒲焼を作る側として説明ができてしまいます。 

「割きの違い」は、蒸らして軟らかくするには背開きが断然適しているのですが、当時役者並に人気があったと言われる賃金の高いプロの調理人達が割かなくても、魚をおろせる人なら直ぐに背開きに慣れる事ができたと思います。

「白焼きの違い」は、関西風は関東の白焼きより技術を必要としていると私は思いますし時間も掛かります。

庶民に手が届く価格で、この時間を省略するにはどうしても白焼きまでは下準備しておかなければなりません。

白焼きまで済ませておけば、味の劣化は防げますし時間とウナギ自体のロス(天然は漁法にもよりますが毎日のように死んでしまい、死んでしまうと使えないから)が少なくなります。

「蒸らす」と言う事は、生きたウナギを割きはじめる蒲焼には味の面ではかないませんが、やはり下準備をしておいて席の稼動率をあげ、その結果今まで人気の無かったウナギまで使えるようになり、仕入れ値を抑える事に成功し、また江戸庶民の時間を掛けない短気な性格にあわせたか、その逆の短気な性格から生みだされた調理法ではないのでしょうか。

地方のうなぎ飯で有名な柳川の「せいろ蒸し」にしても、名古屋の「櫃まぶし」にしても浜松周辺や諏訪湖周辺それと関西、中国、九州地方の一部に残っている「背開きで蒸さないうな重」にしても、すべて合理性を考えて生まれ、その中で庶民に受け入れられたものだけが残ってきたと私は思います

関西と関東の蒲焼の違いを
「脂の好き嫌いで関東は蒸すようになった」と言う説では
明治に入り「牛鍋」が爆発的な人気を呼んだと言う話しとは合わない気がします。

天然うなぎの脂肪は「トロ」や「養鰻」などと違いそんなに気にならないさらっとした味と実感しておりますし、もし脂が受け入れられ「トロ」が人気が出たのなら、逆になぜ関東風の蒲焼はすたれる事が無く、未だに広がり続けているのでしょうか? どうしても引っ掛かっていました。

最初に私も考えていた「うなぎの質による違い」とか、河川の違いでは、鉄道により流通範囲が広まった時から差は無くなるはずです。また西日本でもウナギの好むゆったりとした川や餌の豊富な場所はいくらでもありました。 

腹開きと背開きの変わった理由を「蒸し」だけの違いによる説明だけでは例外の地域が多く、的から外れているように感じます。
また「切腹を嫌って・・・」などと言う説は、私から見れば論外です。

と、偉そうに書いてしまいましたが、今まで関東と関西の違う理由を色々な先生が考えていますが、私と同じような考えの方がおりませんので、たんなる「うなぎ屋」の戯言かもしれませんね。 

ただ私は「関東で消えた関西風」のすべてにあてはまる理由は、「経営面的な考え方」だけだと今の段階では思っています


                             2004年4月





           掲載の写真、図表、文章などの無断転載を固くお断りいたします
                  著作権は資料及び画像保有者、並びにうな繁に帰属します